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本人の話と了承を得た上で書かせていただいております。
「いじましい物資欲とかよりも、精神的な余裕がほしい」 「職場は解雇になったけど、お陰で家族と毎日居られるので幸せです」 「アパートごと津波で流され、たどり着いたのが自由の女神前だった」 「ソフトバンクつー会社はすごいね。孫だっけソフトバンクの社長の孫(まご)はすごいよ」 「追波で釣り??馬鹿じゃねーのかよ。自衛隊やら消防が遺体捜索してんのになにやってんの」 「この間仙台に行ったら普通に街で驚いた」 「車ごと津波で流され、たまたま後部の窓ガラスが割れて、そこから逃げて助かったけど 目の前に止まっていたおばちゃんらしき人は車ごと沈んで、泳いで助けようとしたけど 波で流され、その後はなんともならず、夢に出てきて眠れない」 「流れてきたビール缶拾ってなんとか食いつないだが、親戚連中からは非難轟々」 「安否不明な妻を探しに夜な夜な車で走っていたら札束持ったガキども見て あせってアクセルふかした」 「目の前で嫁が流されて、さすがに覚悟したけど5日後に生存確認できて その晩は一生分の涙がでた」 「舘ひろしは私の好みだわ。でも90才だけど、私ダメかしら」 「なんの為の税金、何のための年金。私たち年寄りの金を復興にあてがって」 「借金6億。で、今後どうやって会社を立て直せばいいのか ビジョンすら見えないが、今は行政を頼るしかないのが本音」 「イチゴ農家は6件残して全滅。我が家も立ち入り禁止区域。 さらに風評被害で残った農家も壊滅気味。どうすればいいのかわからない」 「家も車も流されました。保険には入っていません。唯一の希望は 死んで悩みがなくなること」 「俺は奥尻津波経験者で兄は津波で亡くなったけど、おやじは自殺。こころのケアを早急にしないと」 「三陸の活性化は仙台が活性化しないことには始まらない」 「未来って言葉は明日が来る予定がすべて未定だから、未来。時間は戻せないけど やるべきことは将来の事。つまりは来るべき明日に備えて将するだけ」 「涙も枯れて、希望も尽きた。おれだけ残して皆死んでしまった。けど生ある理由を噛み締めながら 一日一日大事に生きてる。けど夜は辛い。悲しい。辛い。」 「釣りっこが、魚持ってこい。みんなに食わせろ」 「津波が来るまでは信じられなかったけど、足元まで水が来て避難した。 高いところに上がるまで3分位だったか。 そのころには腰まで水に浸かってたよ」 「うちの田んぼにゃ(海より3km)50アップのアイナメ3つとカレイとボラ住んでたが ボラ以外は3日で皆死んだ」 「また津波来て、みんな死ねばいい。どうでもよくなってしまった。どうでもいいんだ」 「市場、冷凍庫、漁船、漁協が繋がらないと仕事にならない。食い扶持うんぬんよりも 全体で復興しなけばバランスが取れない」 「余震で眠れない毎日で十円ハゲどころか五百円ハゲできた」 「収入が一切絶たれた。手を拱いていても仕方がないから 兎に角、独自で収入を得る方法を考えないと家族全員死んでしまう」 「車全部水被って、夢中で山の上まで逃げた。山さいったら今度は火事。 助けてって声ばっか聞こえてもどうすることもできなくて涙しか出なかった」 「津波がひいてから、食い物探しに出かけたら、お寺から カップラーメンとお供え物の果物が流れてきて助かった」 「神様信じて生きてきたけど、神様が与えた試練は、とてもとても大きな試練。 悪いことはなんもしてこなかったけど、はじめて神様恨んだよ」 「ここだけの話。被災翌日に自転車かっぱらって、自販機壊しました」 「家の周りは家だけ残りました。周りは皆無くなって、町内会の半分以上が行方不明 うちだけ残って気の毒で」 「地震のあと5分ごには山さ非難したさ。だってあれはさすがにやばいと思ったもの」 「泥かきだけで1週間。商売は1年休業。国の保証もあてにならん。今後のことは銀行と相談して 考えるしかない」 「近所の人とは交流がなかったけど、被災後から交流をもつようになったら 2日後に町内会費払えとか。マジでありえなかった」 「お互い生きるためには工夫しよう、考えよう、譲り合おう。自我だけでは人は生きられないのだから」 仕事柄、様々な方々からおはなしを聞くことができました。 ドウシヨウもないときはぐちをこぼしてください。 話を聞いてやってください。 意見を述べてください。 次回に続きます。 |
被災から一ヶ月が過ぎた。
知人やクラアイントの大半の安否確認も取れ また食糧難に陥っていた時も過ぎた。 当社の業務は被災前の1/4にまで落ち込んだ。 仕事として、石巻人としてやれる 精一杯の事はこなしているが ポッカリと心に穴が空いてしまった感は否めず 窮地というのに 空いた時間は ボランティア活動だったり サクラマス釣りに興じたりと 読書に充てがったりと 何から手をつければ良いのかが 明確にならず、過ぎゆく時間を ただただ、ぼんやりと過ごしてしまう日もあった。 しかし、早起きはなんとかの得とはよくいうもので 早朝は川では魚がよく釣れた。 未だに釣れ続けている。 釣り人の数は最盛期とは比較にはならないものの 休日なんかは駐車スペースすら見当たらない。 さて現状。 今後の業務や融資に関する相談が多く寄せられている。 その処理業務と仙台と地元のパイプを務めるのが目下の仕事。 「収入が無い中で、どうやって会社を立て直せばよいか?」 「融資、助成金先をまとめてくれ」 「申請書類を取り寄せて」 etc・・・ 会社を立て直すのも大変だが 人生を立て直すのは更に困難。 皆、生活がかかっている。 被災者は・・・ 今を生きることから これから先のことに そのエネルギーの矛先は変わった。 皆一様に これから先の課題は鬱積している。 元通りにならない事は皆知っている。 wishからactionへ思考も変わった。 現状認識しなければ何も始まらない。 エネルギーの矛先を無駄に消費せぬよう 一日一日を解決したい。 一日も早い復興の為に。 最後に。 被災して間もなくの頃。 矢口塾YG氏・松ちゃんの伝手で 関東や関西から有志の支援部隊を石巻に派遣していただき 4トン・10トントラック満載の食料や物資を ネットや個人の情報を駆使して 配給が間に合っていない各避難所に届けられた。 また、大変遅れてしまいましたが 大変多くの方々が日赤のボランティアに 申し込みしていただきました事。 有志で集まっていただきました皆々様 また尽力していただきました方々に御礼申し上げます。 なおGWは、石巻市内様々な場所で 出来る限る炊き出しを行う予定です。 我が家の近所でやってくれ! そんな方いらっしゃいましたら メールくださいませ。 overrevmiyagi@yahoo.co.jp |
この記事の写真を見た瞬間
僕は一瞬、息が止まった。 金華山と牡鹿半島の海峡のボトムが 完全に露出した姿。 数年前に、僕はここでヒラメ釣りをした思い出がある。 覚えている限りでは、水深は50mはあっただろうか。 これだけの水量が生むエネルギーなんて これだけの水量が押し寄せる津波なんて どんな科学者だって どんな地震学者だって 未だ想像したことすらないであろう未曾有の出来事。 「人智を超える天災」 誰しもの想像を超え 誰しもが予想だにしなかった。 神以外に現実的には不可能と謳われてきた「モーゼの十戒」 この引き波によって出来た道は 人々を救う道ではなく、それらを奪い去る凶器と化した。 無垢なるもの。 未知なるもの。 創造しがたきもの。 永き地球創りしもの。 天変地異とは、人間有りき言葉なのか。 写真を妖々眺め、改めて自然の驚異を痛切した。 河北新報社2011年4月14日記事転載 「海峡の底出現 引き波後に津波激突 仙台の写真家撮影」 http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110414t13025.htm 「東日本大震災で、宮城県の牡鹿半島と金華山の海峡で 海底が見えるほどの引き波が発生し 南北から押し寄せた津波が激突する様子を 仙台市青葉区の元NHKカメラマンで 山岳写真家の東野良さん(66)が撮影した。 東野さんは3月11日、石巻高の同窓生の登山仲間12人と
一緒に金華山に来ていた。 金華山港で鮎川港に戻る定期船を待っていた午後2時46分 地震が発生。高台への道は土砂崩れが起きていたが 何とか通って高台に避難した。 午後3時12分ごろ、海面が上昇し始め
さっきまでいた待合室は水没。 同29分ごろ、今度は南に向かって水が引き始め 同33分には撮影場所から約1キロ先に見える牡鹿半島との間は 海底が露出し、海は川の流れのようになったという。 同36分、南北から白波を立てて津波が押し寄せ 東野さんらの目の前で激しくぶつかった。 「ゴーゴーというすごい音を立てていた。現実感がなかった」と振り返る。 東野さんらは島の神社で一夜を明かし 12日に工事関係者の船で鮎川港に戻った。 徒歩やヒッチハイクで14日、仙台市内の自宅に戻ったという。 |
今日の追波は天候にも恵まれた事も手伝い
駐車スペースが無いほど
多くのアングラーで賑わいを見せた。
早いもので明日で震災から1ヶ月。
失ったものも多いが
学んだことも多い。
絶望や悲壮を拭い去り
立ち上がる人々。
希望は夢ではなく現実。
被災はすでに過去の出来事。
涙はとうに乾ききり、破顔一笑。
人の強さの根源は
この街の至る所で見ることができる。
【近況】
28日目。
被災直後に通った道は
その色を無くしていた。
ハンドルを握る手に自然と雫が降りた。
29日目。
海を見た。
すべてを奪い去ったその景色は
日を浴びて瑠緋色に輝いていた。
30日目。
炊き出し。
子供たちの笑顔が垣間見れた。
ひとりじゃない。
みんないるんだ。
【釣りをしよう!】
魚町で育った人々が今欲するもの。
それは魚。
網もない。
船もない。
餌もない。
されど俺達には
ルアーがある。
ロッドがある。
リールがある。
ならば・・・
釣りをしよう。
キープしよう。
水がない人には
捌いてあげよう。
釣りをしよう。
もっともっと釣りをしよう。
魚一尾で提供できる多幸感。
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宮城県 災害救助法に基づく「住宅の応急修理制度」について
※県内全域対象です。
1.事業の概要
「東日本大震災」により「全壊・大規模半壊又は半壊した住宅」を
市町村が業者に依頼して一定の範囲内で応急修理する制度です。
2.対象世帯
以下の全ての要件を満たす世帯が対象となります。
①大規模半壊又は半壊の被害を受けたこと
(市町村が発行するり災証明書が必要となります)
なお、全壊の場合でも、応急修理をすることにより
居住が可能となる場合は対象です。
②応急修理を行うことによって避難所等への避難を要しなくなると見込まれること。
③応急仮設住宅(民間賃貸住宅を含む)を利用しないこと。
3.所得制限等
前前年の世帯全体の年収等が以下のいずれかに該当する世帯が対象です。
①世帯全体の年収が 500 万円以下の場合
②世帯全体の年収が 500 万円超、700 万円以下で
かつ、世帯主が 45 歳以上又は要援護世帯
③世帯全体の年収が 700 万円超、800 万円以下で
かつ、世帯主が 60 歳以上又は要援護世帯
ただし、大規模半壊又は全壊の住家被害を受けた世帯については
所得制限はありません。
4.住宅の応急修理の内容
住宅の応急修理は居室、炊事場、便所等の日常生活に
必要欠くことのできない部分であって、より緊急を要する箇所について実施します。
緊急度の優先順は次のとおりです。
①屋根・柱・床・外壁・基礎等
②ドア・窓等の開口部、
③上下水道・電気・ガス等の配管・配線
④衛生設備
注1)地震の被害と直接関係のある修理のみが対象です
注2)内装に関するものは原則として対象外です
注3)家電製品は対象外です
5.限度額
①一世帯あたりの限度額は 52 万円です。
②同一世帯(1戸)に2以上の世帯が居住している場合でも
上記①の一世帯あたりの限度額以内となります。
6.その他
このほか、全壊か大規模半壊の被害を受けた住宅は
被災者生活再建支援金を使って「住宅の応急修理制度」と合わせて
住宅の補修をおこなうことができる。
7.工事完了期限
原則として災害発生日より1ヶ月以内ですが
期限の延長を検討中です。
詳しくは市町村の申請受付窓口にご相談下さい。
8.手続きの流れ
最下部URLチャート参照。
9.お問い合わせ先
土木部建築安全推進室(問合せ先 022-211-3281)
URL:(PDF形式)
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